引用論文
Electroacupuncture Relieves Visceral Hypersensitivity by Inactivating Protease-Activated Receptor 2 in a Rat Model of Postinfectious Irritable Bowel Syndrome
「感染後過敏性腸症候群ラットモデルにおいてプロテアーゼ活性化受容体2を不活性化することで内臓過敏症を緩和する電気鍼療法」
研究背景
過敏性腸症候群(IBS)は、腹痛や排便習慣の変化を主症状とし、世界的に約5~10%の有病率を示します。その中でも、食中毒や細菌性・ウイルス性腸炎などの急性感染後に発症する「感染後過敏性腸症候群(PI-IBS)」は、急性感染者の約3~36%が経験するとされ、慢性的な腹痛や下痢・便秘の再発を来たすことで日常生活の質を著しく低下させます。PI-IBSの主要病態メカニズムとして注目されるのが「内臓過敏症(visceral hypersensitivity; VH)」であり、大腸への機械的刺激に対して閾値が低下し、小さな刺激でも激しい不快感や痛みが生じる状態です。近年、VHにおける免疫‐神経相互作用として、腸粘膜マスト細胞由来のトリプターゼ(TPSP; tryptase)がプロテアーゼ活性化受容体 2(PAR2)を活性化し、その下流で神経ペプチドであるサブスタンスP(SP)やカルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)が放出され、痛覚シグナルが増幅されることが示唆されています。一方、電気鍼(electroacupuncture; EA)は臨床・実験的にIBS症状やVHを緩和する効果が報告されていますが、特にPAR2経路への直接的な影響やその分子機序は明らかでない点が多く残されています。本研究では、PI-IBSラットモデルにおいてEAがVHを緩和する際にPAR2およびTPSP/SP/CGRPシグナル軸をどのように調節するかを解析し、その分子メカニズムの解明を目指しました 。
目的
本研究の主目的は、PI-IBSラットモデルにEAを適用した際の以下の検討です:
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VHの機能的指標である腹部引き込み反射反応(AWR)閾値に対するEAの効果
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腸組織におけるPAR2/TPSP/SP/CGRPの発現変動
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PAR2アゴニスト(PAR2-AP)投与によるEA効果の変化から見た、EAの作用部位の特定
実験モデルおよび群分け
雄性Sprague-Dawleyラット(体重180–220 g, 12–14週齢, n=36)を以下の5群に無作為に分割しました:
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C群(コントロール, n=9)…生理食塩水投与, 虚処理
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M群(モデル, n=9)…TNBS投与によるPI-IBSモデル
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M+EA群(n=6)…M群にEA施術
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M+AP群(n=6)…M群にPAR2-AP投与
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M+EA+AP群(n=6)…M群にPAR2-AP投与+EA施術 。
PI-IBSモデルの作製
ラットを24時間絶食後、TNBS(塩化トリニトロベンゼンスルホン酸)5 mgを50%エタノール0.8 mLに懸濁し、直腸孔から8 cm挿入して投与。1分間仰臥位保持後に回復させ、投与4週間後にAWR試験で痛覚閾値<30 mmHgを示した個体をPI-IBSモデルと定義しました 。
EA施術条件
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刺鍼部位:ST25(天枢)およびST37(上巨虚)左右各1穴
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鍼:ステンレス製、径0.3 mm、刺入深さ3 mm
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通電条件:密疎波形(2 Hz/15 Hz交互), 3 秒/交互, 1 mA程度
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施術時間:15 分/日, 週5日×2週
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使用機器:Han EA装置(LH402A) 。
腹部引き込み反射(AWR)試験
直腸に長さ6 cmのラテックスバルーンを挿入し、0.01 mLステップで空気を注入しながら、①腹壁挙上②体のアーチングを誘発する最小充填圧を痛覚閾値として測定。各群3回反復測定後、5分間のインターバルで回復を確認しました 。
PAR2アゴニスト投与
PAR2-AP(SLIGRL-NH₂, 100 µL/rat, 溶媒:10%EtOH/10%Tween 80/80%生理食塩水)をモデル確立4週後から3日おきに4回、同部位に投与し、PAR2依存性を検証。対照群には生理食塩水を同量投与しました 。
組織採取および分子解析
EA終了後、ウレタン麻酔下で犠牲にし、肛門上約12 cm位置の結腸組織を摘出。以下の解析を実施しました:
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免疫蛍光染色:抗-PAR2(Abcam ab180953)、抗-TPSP(Abcam ab2308)、抗-SP(Invitrogen)、抗-CGRP(Abcam ab47027)を1:500希釈、FITC標識二次抗体で可視化
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Western blot:PVDF膜転写後、一次抗体は免疫蛍光と同一、GAPDHで正規化
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RT-PCR:SYBR Green法でPAR2, TPSP, SP, CGRP mRNA量を定量
主要結果
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AWR閾値の改善
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M群に比べ、M+EA群は①腹壁挙上閾値が0.578±0.115→0.900±0.201 mL(P<0.01)、②体アーチング閾値が0.748±0.118→1.100±0.316 mL(P<0.01)に有意上昇。
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M+AP+EA群ではAP単独投与の抑制を多少打ち消す傾向を示すも、統計的有意差は認めず(P>0.05) 。
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PAR2およびTPSP/SP/CGRP発現の抑制
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M群で上昇したPAR2タンパク・mRNAはM+EA群で顕著に低下。TPSP, SP, CGRPも同様にEA施術群で発現抑制。
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PAR2-AP共投与群ではEA効果がやや減弱したが、M群に比べ全体として抑制傾向を維持 。
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考察
本研究により、EAは腸管局所のマスト細胞由来TPSPによるPAR2活性化を阻害し、その下流シグナルであるSPおよびCGRP放出を抑制することでVHを緩和することが示されました。EAによる電気刺激は、腸管神経叢における免疫‐神経相互作用を調節し、過敏性疼痛シグナルの増幅を遮断すると考えられます。また、PAR2-AP投与によるEA効果の一部打ち消しは、PAR2がEA鎮痛作用の主要な分子標的であることを裏付けます。これらの知見は、PI-IBS患者に対するEA臨床応用の分子基盤を提供するとともに、PAR2経路を治療標的とした新たな鍼治療戦略の開発を示唆します。
結論
ST25(天枢)およびST37(上巨虚)へのEAは、TPSP/PAR2/SP/CGRPシグナル軸を不活性化し、PI-IBSラットの内臓過敏症を有意に緩和する。特にPAR2はEA鎮痛機序のクリティカルコントローラーである。
使用経穴
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ST25(天枢)
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ST37(上巨虚)