引用論文
Effect of Acupuncture on Diaphragm Function in Healthy Volunteers: A Pilot Clinical Study
「健常ボランティアにおける呼吸横隔膜機能への鍼治療の効果:パイロット臨床試験」
1. 研究背景
西洋医学において横隔膜は主要な吸息筋であり、胸郭のポスチャー制御やバランス保持にも寄与する重要筋肉である。一方、伝統中国医学(TCM)では横隔膜は「気」の流れを上下に分かつ要所と捉えられ、全身の昇降機能を調整する役割を担うと考えられてきた。このように横隔膜は呼吸機能のみならず身体全体の調和に深く関与している 。
しかし、鍼治療が横隔膜機能に及ぼす影響については臨床的検証がほとんど行われておらず、本研究では健常者を対象に、鍼を用いて横隔膜の運動(excursion)と筋厚(thickening)を超音波計測し、その機能変化を評価することを目的とした。
2. 研究デザイン
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デザイン:プルーフ・オブ・コンセプトの前向き、対照付きパイロット試験
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対象:10名の健常ボランティア(男性6名、平均体重71±12 kg、身長173±9 cm、BMI 21±1.3 kg/m²)
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介入:各被験者に対し、
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ベースライン測定
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シャム鍼(偽刺激)
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実鍼(Acupuncture)
の順に実施し、各ステップごとに呼吸時のパラメータを計測
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測定項目:
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呼吸数(Respiratory Rate)
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一回換気量(Tidal Volume)
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最大呼吸時の一回換気量(Vital Capacity Breathing Volume)
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横隔膜の動揺幅(Diaphragm Excursion)
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横隔膜筋厚および厚さ比(Thickening Fraction)
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評価方法:超音波(エコー)ガイド下に安静時(tidal breathing)および肺活量呼吸時(vital capacity breathing)に計測。
3. 刺鍼プロトコール
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使用した経穴:
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GB34(陽陵泉)
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LV3(太衝)
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CV17(膻中)
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BL17(膈兪)
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BL46(膏肓兪)
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刺鍼手技:各経穴に1本ずつ使い捨て鍼を挿入し、「得気」を得るまで手技刺激を行い、その後安定置鍼。
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シャム鍼:皮膚を軽く接触させるのみで鍼刺入および「得気」は行わない。
4. 主な結果
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安静呼吸(Tidal Breathing)時
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一回換気量、横隔膜動揺幅、呼気終末時の筋厚には、ベースライン→シャム→実鍼のいずれにおいても有意変化なし。
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厚さ比(Thickening Fraction)はベースライン30.8±15.3%、シャム31.3±14.9%、実鍼43.5±16.6%であり、実鍼群で増加傾向を示したものの統計的有意差は認められなかった(p=0.1066) 。
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肺活量呼吸(Vital Capacity Breathing)時
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一回換気量:実鍼群3840±690 mlがベースライン3230±750 ml、シャム鍼3110±880 mlに対し増加傾向(p=0.1247)。
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厚さ比(Thickening Fraction):実鍼群270.6±136.4%がベースライン188.6±41.7%、シャム鍼172.4±57.4%に比べ有意に増加(p=0.0414) 。
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以上より、鍼刺激は最大努力呼吸時において横隔膜の収縮性を高める効果が示唆された。
5. 考察
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横隔膜機能改善の意義
肺活量呼吸での厚さ比増加は、鍼治療が横隔膜筋の収縮効率を向上させ、吸息ポンプとしての働きを強化した可能性を示す。これは、呼吸リハビリテーションや運動パフォーマンス向上への応用が期待できる。
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TCMの視点との整合性
膻中(CV17)は胸腔内の気の中心、膈兪(BL17)は横隔膜の背部募穴、膏肓兪(BL46)は胸腔調整、陽陵泉(GB34)と太衝(LV3)は筋骨の調整に用いられる要穴であり、呼吸運動の調和を意図した選穴といえる。
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パイロット試験の限界
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被験者数が少数(n=10)で探索的研究にとどまり、偽刺激との差異をより確実に検証するためには症例数の増加が必要。
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健常者対象のため、呼吸障害患者への有効性は未検証。
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刺鍼手技の標準化やエコー計測の技術ばらつき抑制が今後の課題。
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6. 臨床応用への示唆
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呼吸リハビリテーション
呼吸筋トレーニングと併用して鍼治療を行うことで、COPDや慢性呼吸不全患者の横隔膜機能改善に結びつく可能性がある。
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スポーツコンディショニング
運動前の鍼刺激により呼吸効率を高め、持久力向上や疲労軽減への応用が期待される。
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姿勢・バランス制御
横隔膜は体幹の安定化にも関与するため、鍼による機能向上が姿勢制御訓練の一助となり得る。